2025年11月9日、政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、元兵庫県議に対する名誉毀損容疑で逮捕されたとの報道が出ました。([参照](https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000465164.html))その際、「逃亡・証拠隠滅のおそれがない」「立候補表明の段階であった」「被疑事実の内容を考えたら在宅捜査で十分だったのではないか」といった疑問が寄せられています。本記事では、刑事手続き・逮捕の要件・在宅捜査との違い・本件に即した考察を整理します。
逮捕と在宅捜査の制度的な違い
まず、日本の刑事手続きにおいて、被疑者を「逮捕」して身柄を確保するか、「在宅捜査(在宅起訴・在宅捜査)」で捜査を進めるかの判断には、法令・判例・実務運用の観点があります。
「逮捕」を行うためには、捜査機関が・被疑者が犯したと疑うに足りる合理的な理由(相当な理由)を有しており、かつ①逃亡のおそれ、②罪証隠滅のおそれ、③逃亡又は住居不定等により捜査に支障を生ずるおそれ――のいずれかがあると認められる必要があります(刑事訴訟法199条)。
一方「在宅捜査・在宅起訴」は、これらのいずれかのおそれが低いと判断された場合や、捜査段階・起訴段階で身柄拘束を回避する方針が採られる場合に用いられます。
在宅捜査が選択されるケースとその実例
在宅捜査が採られる典型例としては、被疑者の逃亡歴・住居固定・身元明確性がありかつ、証拠隠滅のおそれが低いと判断された場合です。例えば、比較的軽微な詐欺事件・反社会的勢力関係が薄い事件などで、捜査の進行が可能と判断されたケースがあります。
また、政治的活動や選挙活動を行っていた人物が被疑者となった場合には、「身柄拘束による自由制限が世論上・政治活動上大きな影響を与える」との配慮から、在宅捜査が選択されることも少なからずあります。ただし、これらはあくまで裁量的な判断であり、必ず在宅になるものではありません。
本件:立花氏の逮捕に至った背景と報道内容
報道によれば、立花氏は2024年12月から2025年1月にかけて、元兵庫県議の竹内英明氏に関し「警察の取り調べを受けているはず」「明日逮捕される予定だった」などと自身の街頭演説やSNSで発言し、虚偽の情報を不特定多数に提供したとして名誉毀損容疑で逮捕されたとされています。([参照](https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202511/0019685739.html))
警察側は「捜査上の支障が出るおそれがある」として、立花氏の認否を差し控えています。([参照](https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2277448))この点から、捜査機関が「証拠隠滅のおそれ」または「捜査に支障を来すおそれ」を重視して身柄拘束に踏み切った可能性があります。
「逃亡・証拠隠滅なし」「在宅でよかった」の主張を検証する
質問者が挙げるように、①逃亡のおそれ、②証拠隠滅のおそれがない、③立候補表明段階である、という条件があるならば在宅捜査も一つの選択肢として妥当と言えます。実際、身柄拘束のない在宅起訴や在宅捜査が行われるケースがあります。
しかし、報道からは次のような点が捜査機関判断の焦点になった可能性があります。・立花氏が政治活動・選挙活動を行っている人物であり、「一定の自由行動」の権限がある。・SNS発信・街頭演説という公衆を相手にする発信手段を多数有していた。・「捜査上の支障」が出るおそれがあると警察が公表している。これらを踏まえると、捜査側として身柄拘束を選択した背景には在宅捜査にはないリスクがあったと考えられます。
逮捕適否を考える観点と今後の留意点
逮捕が「適切だったか」を考えるためには、以下の観点が重要です:①捜査の必要性・緊急性、②被疑事実の重大性・反復性、③身柄拘束による弊害(人権・政治活動自由等)、④在宅捜査による捜査手法の実効性です。
本件において、名誉毀損という被疑事実は社会的影響があるものの、一般的には殺人・重大詐欺などと比べて「身柄拘束を当然とする」ものではありません。しかし、発信主体が公人かつ広範囲に影響を及ぼす可能性のある行為であった点、かつ捜査機関が捜査支障のおそれを示唆していた点から、在宅限定では捜査が困難と判断された可能性があります。
まとめ
要するに、立花氏の逮捕について「当初から在宅捜査でもよかったのではないか」という疑問は理解できます。確かに、身柄拘束が不当と思われる状況もあり得ます。しかし、報道から読み取れる捜査機関の判断材料(捜査支障のおそれ・公衆発信力・政治活動状況)を考慮すれば、身柄拘束を選択したこと自体に制度上の論理的根拠があると考えられます。
今後も、このような政治家・公人を巡る捜査・起訴の場面では、在宅か身柄拘束かという選択が、捜査機関・裁判所・国民それぞれの視点から慎重に評価されるべき課題です。


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