1970年代の国際政治の舞台で、日本人が関わった事件として知られる「テルアビブ事件」は、日本赤軍とパレスチナ解放闘争の関係を象徴する出来事です。本記事では、この事件の概要や背景、イタリアやヨーロッパとの関係について丁寧に解説します。
テルアビブ事件とは何か
1972年5月30日、イスラエル・テルアビブ近郊のロッド空港(現在のベン・グリオン国際空港)で、武装グループが乱射事件を起こしました。この事件では26人が死亡し多数が負傷しました。この戦闘行為は「ロッド空港乱射事件」として世界的にも知られています。 [参照]
事件を起こしたのは、日本赤軍の3人のメンバーです。彼らはイスラエル国内で一般市民に対して発砲し、多くの犠牲者を出しました。事件の遂行には手投げ弾や自動小銃が使われています。 [参照]
日本赤軍とパレスチナ組織の関係
日本赤軍は1971年に設立された極左武装組織で、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナ側の武装組織と協力関係を持っていました。赤軍は中東地域、特にレバノンを拠点に訓練や活動を行い、PFLPと思想的な結び付きがありました。 [参照]
事件当時、テルアビブ乱射を指導したのはPFLP‑EO(パレスチナ解放人民戦線 外部作戦部門)とされ、日本赤軍のメンバーは彼らの支援と訓練を受けていたとされています。これは、当時の国際的な共産主義革命支援の一環という側面もありました。 [参照]
イタリアとの関係は?
質問にあるような「イタリアから出発していた」という情報についてですが、テルアビブ事件自体は特定のイタリア脱出や拠点建設という意味ではなく、犯行メンバーがエールフランス機でローマから現地に向かったという背景があるようです。事件前の移動はヨーロッパ経由でしたが、これは必ずしもイタリア国内で組織的な拠点や基地が存在したことを意味するものではありません。 [参照]
一方、1970年代のイタリアでは「赤い旅団」など極左武装組織が活動していましたが、これらは日本赤軍とは直接的な組織関係はなく、同時代における左派過激運動という広い潮流の中に位置します。 [参照]
日本赤軍のその後の活動
テルアビブ事件後、日本赤軍は国際的な武装闘争に関与し続けました。例えば、1973年には欧州上空で日本航空機をハイジャックする事件が起き、その後リビアなどとの交渉が行われました。 [参照]
1970年代後半以降、組織は次第に衰退しましたが、欧州や中東、中南米などで複数の事件を起こしており、国際的な極左武装活動の象徴ともなっています。 [参照]
まとめ
テルアビブ事件は、日本赤軍とパレスチナ解放闘争を象徴する国際テロ事件です。事件自体はイスラエル空港で発生し、犯行メンバーがヨーロッパ経由で現地入りしたことはありますが、イタリア国内に日本赤軍の恒常的な拠点があったという確たる証拠はありません。ただし、当時の世界的な左派武装運動の広がりの中で、日本赤軍はPFLPと結び付き、国際的活動を行っていました。


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