東日本大震災の仙台市では当日帰宅できた?停電・断水・避難所生活・仕事再開までを当時の記録から解説

地震

2011年3月11日の東日本大震災では、仙台市内でも住んでいた地域、勤務先、自宅の被害、交通手段によって震災後の生活は大きく異なりました。仙台駅周辺など中心部では鉄道や地下鉄が止まり、多数の帰宅困難者が発生する一方、徒歩や自動車でその日のうちに自宅へ戻れた人もいます。沿岸部では津波のため職場や自宅へ戻れず、そのまま避難した人もいました。

ライフラインについても一律ではありません。仙台市の公式記録では、電気は市内ほぼ全域で3月18日までに復旧、水道は一部地域を除き3月29日までに復旧、都市ガスは被害の甚大な地域などを除いて4月16日までにほぼ復旧しています。ただし各家庭では数時間で復旧したところから数週間以上かかったところまで差がありました。[参照]

仕事の再開時期についても、中心市街地の事務職なら比較的早く再開できた例がある一方、津波被害を受けた仙台港周辺、建物が損傷した事業所、水やガスを必要とする業種では数週間から数か月を要した例があります。ここでは仙台市や内閣府に残された公的記録と体験談をもとに、当時の実態を整理します。

2011年3月11日、仙台市では何が起きたのか

東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震は、2011年3月11日14時46分に発生しました。規模はマグニチュード9.0で、仙台市でも極めて強い揺れに見舞われました。

仙台市東部の沿岸地域にはその後大津波が襲来し、宮城野区や若林区などでは住宅地、事業所、農地に甚大な被害が発生しました。一方、青葉区や泉区、太白区など内陸側では津波被害がない地域も多く、同じ仙台市内でも被災状況には非常に大きな差がありました。

そのため「仙台市では何日停電したのか」「当日に帰宅できたのか」という質問には一つの数字だけでは答えられません。仙台駅周辺、内陸住宅地、東部沿岸地域では震災後の生活がかなり違ったことを前提に見る必要があります。

震災当日に家へ帰れた人はいた?

当日中に帰宅できた人は実際にいます。ただし鉄道や地下鉄など公共交通機関が停止したため、徒歩、自転車、自家用車などで帰宅した人が多くいました。

仙台市は震災当時、JR仙台駅周辺などで多数の帰宅困難者が発生し、最寄りの避難所へ人が集中したと記録しています。現在の仙台市の帰宅困難者対策も、この経験を踏まえて整備されています。[参照]

つまり勤務先から自宅まで歩ける距離だった人は、その日の夜までに帰れたケースがあります。一方、鉄道で郊外から通勤していた人、道路が寸断された人、沿岸部で津波から避難していた人などは当日の帰宅が困難でした。

仙台中心部から徒歩で帰宅した実例もある

内閣府が公開している仙台市青葉区の会社員女性の体験談では、地震発生時に仙台市内の会社に勤務していました。会社から避難した後、食料を確保し、同僚2人は徒歩で自宅へ向かったと記録されています。本人は自動車で名取方面へ向かいましたが、通常30分の道のりに約3時間かかったとしています。[参照]

別の仙台市の震災記録では、仙台駅前の勤務先から娘が歩いて自宅へ帰ってきたという証言も残っています。[参照]

このように、市中心部から数km程度の場所に住んでいた人は徒歩帰宅できたケースがありました。しかし、現在の防災対策では、大地震直後に全員が一斉に帰宅すると救急・救助活動の妨げになる可能性があるため、安全な職場などに留まることも推奨されています。

仙台港周辺では当日に帰宅できなかった人もいた

沿岸部では状況がまったく異なりました。内閣府が公開している仙台市若林区の会社員男性の体験談では、仙台港付近の勤務先で震災に遭い、大津波警報を受けて上階へ避難しています。

津波によって自分の車も流され、その日は移動手段を失ったため勤務先で一晩を過ごしました。翌朝、泥だらけの道路を歩いて帰宅したと証言しています。[参照]

さらに、その勤務先は被害地域にあったため、行政などから許可が出るまで自宅待機になったとされています。同じ仙台市でも、中心市街地と仙台港周辺では「帰宅できるか」という条件自体が大きく違ったことが分かります。

避難所へ避難した人はどれくらいいた?

仙台市では非常に多くの市民が避難所を利用しました。市の公式記録によると、避難者数は2011年3月12日11時30分時点で最大105,947人に達しています。これは当時の仙台市人口のおよそ1割に相当する規模でした。[参照]

避難所数は3月14日に最大288か所となりました。学校や公共施設だけでなく、多数の人を受け入れる必要が生じました。

一方、仙台市民の全員が避難所へ行ったわけではありません。自宅に大きな損傷がなく津波浸水区域でもない場合、自宅で過ごした人も多くいました。また、一度避難所へ行って安全確認後に自宅へ戻ったケースもあります。

自宅で過ごした人と避難所生活をした人の違い

津波浸水区域、家屋が倒壊・大規模損壊した地域、火災や余震の危険が高かった地域では、避難所生活を余儀なくされた人が多くいました。

一方、仙台市宮城野区のある家庭の公的な体験記録では、自宅へ戻った後、医療機器を必要とする家族がいたため敷地内の車で数日間過ごし、その後親戚宅へ避難しています。電気が復旧してから自宅へ戻ったとされています。[参照]

このように「避難」といっても指定避難所だけではなく、車中泊、親戚宅、勤務先などさまざまな形態がありました。

仙台市の停電は何日続いた?

仙台市の公式復興記録では、3月18日までに市内ほぼ全域で電力が復旧しています。発災から約1週間です。[参照]

ただし「仙台市全員が1週間停電していた」という意味ではありません。電力設備の被害状況によって地域ごとに順次復旧したため、翌日や数日後に電気が戻った家庭もありました。

逆に、建物や周辺設備そのものが大きく被災した地域では、それより長く電気を使用できない場合もありました。仙台市全体の目安としては「数日から約1週間」という家庭が多かったと考えるとイメージしやすいでしょう。

停電中の仙台市内はどのような状態だった?

3月11日の夜は広範囲で停電し、市街地でも照明や信号が消えました。当時の体験談では、停電した街が真っ暗になり、普段より星空が鮮明に見えたという証言も残っています。

店舗もレジが使えず、電卓で金額を計算して商品を販売した例があります。仙台市が公開している家庭の体験談では、震災直後にスーパーで電池や懐中電灯を購入した際、レジが動かないため入口で電卓を使って会計していたと記録されています。[参照]

携帯電話も通信が集中し、家族の安否確認が難しい状況でした。スマートフォンが現在ほど普及していなかった2011年という時代背景もあり、ラジオやワンセグ、車載テレビなどが重要な情報源になりました。

断水は何日くらい続いた?

仙台市の復興記録では、津波被害などを受けた一部地域を除き、3月29日までに水道が復旧しています。発災から18日後です。[参照]

ただし、水道も電気と同じように地域差が非常に大きく、まったく断水しなかった住宅もありました。仙台市が公開する宮城野区の家庭の体験談には、震災直後も自宅の水道は止まっていなかったという例があります。[参照]

一方、断水が続いた地区では給水所へポリタンクなどを持って水を取りに行く生活が続きました。飲料水だけでなく、トイレ、洗面、洗濯、調理など生活のあらゆる場面で水不足が大きな問題になりました。

仙台では都市ガスの復旧が最も時間を要した

仙台市でライフラインの中でも特に復旧に時間がかかったのが都市ガスです。震災直後、津波によって仙台市ガス局の港工場が被災し、供給区域全体でガスが停止しました。

新潟からのパイプラインを利用して3月23日から供給再開作業が始まり、各家庭を一戸ずつ訪問して安全を確認しながら開栓が進められました。[参照]

4月16日には、津波被害が甚大な地区や安全上復旧できない一部地域を除き、約31万戸で開栓作業が完了しています。つまり多くの家庭では、都市ガスだけは数週間から約1か月使えなかったことになります。[参照]

プロパンガスの住宅では事情が違った

仙台市内でも全住宅が都市ガスだったわけではありません。プロパンガスを利用する住宅では、ボンベや配管に被害がなく安全を確保できれば、都市ガス停止中でもガスを利用できた例があります。

仙台市が公開している宮城野区の家庭の記録でも、自宅がプロパンガスだったため震災直後からガスを利用できたとされています。[参照]

したがって、震災当時の体験談で「ガスが1か月止まった」という人と「ガスだけは使えた」という人がいるのは矛盾ではありません。住宅設備の種類が違っていたためです。

ライフライン復旧の大まかな目安

ライフライン 仙台市全体の主な復旧目安 実際の家庭での差
電気 3月18日までに市内ほぼ全域 数時間~約1週間以上
水道 一部地域を除き3月29日 断水なし~数週間
都市ガス 一部地域を除き4月16日 数週間~約1か月
プロパンガス 各設備の被害状況による 安全なら早期使用できた例あり

この表は仙台市全体を把握するための目安です。沿岸部など甚大な被害を受けた地区では、建物そのものが失われるなど、通常の「ライフライン復旧日」では説明できない状況もありました。

交通機関はいつ再開した?

仕事再開に大きく影響したのが公共交通です。仙台市営地下鉄南北線は3月14日に富沢駅から台原駅までの区間で営業を再開しましたが、被害のあった台原~泉中央間は長期間不通となりました。

地下鉄南北線が全線で復旧したのは4月29日です。仙台市営バスは震災翌日の3月12日から特別ダイヤで運行し、4月18日から通常ダイヤに戻りました。[参照]

そのため、鉄道通勤をしていた人の中には会社自体が営業していても通常通り通勤できないケースがありました。徒歩、自転車、社員同士の相乗りなどで出勤したという体験談もあります。

仕事は震災後いつ再開した?

仕事の再開時期については、ライフライン以上に一律の答えがありません。業種、建物被害、社員の安否、交通、取引先の状況によって、翌週から再開した職場もあれば1か月以上休業した職場もありました。

中心部のオフィスで建物被害が軽ければ、社員の安全確認や設備点検を行った後、比較的早い段階で業務を再開できたケースがあります。一方、飲食店や美容室など水道・ガスが不可欠な業種ではライフライン復旧が営業再開を左右しました。

また、仙台港や東部沿岸の工場・倉庫・事業所では、津波によって建物、機械、車両、道路が被災したため、通常業務への復帰まで長期間を要しました。

仙台港の会社では自宅待機になった例も

内閣府の体験記録に登場する仙台港周辺勤務の会社員男性は、津波で勤務先周辺が大きく被災したため、許可が出るまで自宅待機になったと証言しています。[参照]

その後、東京の本社や全国の支店から救援物資が届き、自宅待機解除後は会社が借りたレンタカーへ社員が相乗りして出勤したとされています。

これは沿岸事業所の一例ですが、震災後の「仕事再開」は会社が営業を宣言するだけでは成立せず、道路、燃料、交通、社員の生活環境などが揃って初めて可能だったことが分かります。

福祉・訪問サービスでは1か月後に通常業務を再開した例も

仙台市が公開している訪問入浴事業所の記録では、断水とガソリン不足のため震災直後は通常の訪問入浴ができず、職員が自転車などで利用者宅を訪問して安否確認や必要物品の配達を行っていました。[参照]

その後、水道やガスの復旧に伴って、震災から約1か月以降に入浴サービスを再開しています。

この例からも、震災後には「仕事をしていなかった」のではなく、通常業務は停止していても災害対応や利用者支援など別の形で仕事を続けた事業所が多数あったことが分かります。

施設によっては数か月休業した例もある

建物そのものが損傷した場合にはさらに再開が遅れました。仙台市歴史民俗資料館では、地震による建物被害を受け、2011年3月12日から7月8日まで休館しています。

3月29日に建物診断、4月12日に建築業者が来館、5月16日に改修工事が始まり、7月9日にようやく再開しました。[参照]

一般企業でも建物の安全確認や修繕が必要な場合には同様で、「震災から何日後に仕事再開」という共通日があったわけではありません。

避難所はいつまで存在した?

ライフラインや住宅状況が改善するにつれて避難者は徐々に減りました。仙台市では3月12日に10万5,947人だった避難者が、4月11日には2,829人、5月11日には1,927人まで減っています。[参照]

それでも自宅を失った人などは長期の避難生活を余儀なくされました。仙台市内のすべての避難所が閉鎖されたのは2011年7月31日です。[参照]

つまり、多くの市民にとっての緊急避難は数日から数週間で終わった一方、津波で自宅を失った人などにとって震災後の生活再建は数か月、さらにその先まで続きました。

震災後はライフライン以外にもガソリンと食料不足が深刻だった

電気や水が戻っても、すぐに通常生活へ戻れたわけではありません。特に大きな問題になったのがガソリン不足です。

震災後は営業しているガソリンスタンドに長い車列ができ、何時間並んでも給油できないことがありました。そのため自家用車通勤ができず、自転車や徒歩で勤務先へ向かった人もいました。

スーパーやコンビニでも食料、乾電池、ガスボンベ、トイレットペーパーなどが不足しました。震災から2週間ほどすると店舗の営業も徐々に増えたという仙台市民の体験記録もありますが、発災直後は「店が開いているか」「商品があるか」自体が大きな問題でした。

仙台市内でも体験が全く違う理由

居住・勤務地域 震災後に起こりやすかった状況
仙台駅・中心市街地 建物被害、停電、公共交通停止、徒歩帰宅
青葉区・泉区など内陸住宅地 停電・断水・ガス停止が中心、自宅避難も多い
宮城野区・若林区内陸部 地域によって地震被害とライフライン停止
仙台港・東部沿岸 津波被害が甚大、帰宅不能・長期避難の例も
プロパンガス住宅 設備が無事ならガスを早期使用できた場合あり

「仙台に住んでいた人」という条件だけでは、当時の経験を一つにまとめられません。住所が数km違うだけで津波被害の有無が変わり、同じ町内でも電気や水道の復旧日が違うこともありました。

当時の体験から現在の防災に生かせること

仙台市の震災記録を見ると、災害への備えとして水や食料だけではなく、徒歩帰宅を想定した靴、防寒着、モバイル電源、ラジオ、現金、携帯トイレなどを用意する重要性が分かります。

特に仙台の3月はまだ寒く、2011年3月11日も地震後に雪が降りました。停電した住宅では暖房が使えないケースもあり、防寒対策が非常に重要でした。

また、家族と電話がつながらないことを前提として、集合場所や連絡方法を事前に決めておくことも重要です。仙台市は東日本大震災の経験を踏まえ、帰宅困難者についても大災害直後にむやみに移動せず、安全な場所へ留まることを現在は呼びかけています。[参照]

まとめ:仙台では当日帰宅できた人もいたが、沿岸部や遠距離通勤では帰れない人も多かった

東日本大震災当日の仙台市では、徒歩、自転車、自動車などでその日のうちに自宅へ帰れた人が実際にいました。一方、JRや地下鉄が停止したため仙台駅周辺には多数の帰宅困難者が発生し、仙台港など津波被害を受けた地域では勤務先に一泊して翌日に徒歩帰宅した例もあります。

ライフラインについて仙台市全体の記録を見ると、電気は3月18日までに市内ほぼ全域、水道は一部地域を除いて3月29日まで、都市ガスは被害甚大地域などを除いて4月16日までに復旧しました。ただし実際の家庭では停電が1日程度だったところ、断水しなかったところ、ガスが約1か月使えなかったところなど大きな差があります。

避難所については最大10万5,947人が避難し、最大288か所が開設されました。一方、自宅が安全だった人は自宅で生活を続けたり、車や親戚宅へ一時的に避難したりしています。仙台市内の全避難所が閉鎖されたのは7月31日でした。

仕事の再開時期も一律ではありません。中心市街地の被害が比較的軽い事業所では早期再開したところがある一方、断水やガス停止が影響する業種では数週間、津波被害を受けた沿岸部や建物が損傷した施設では1か月から数か月以上かかった例もあります。

したがって、当時の仙台市民の経験を簡潔にまとめるなら、「内陸部では数日から数週間のライフライン停止と交通・物資不足が生活の中心的な問題となり、沿岸部ではそれに津波による家屋・職場喪失という別次元の被害が加わった」という状況でした。同じ仙台市でも地域と職業によって体験が大きく異なっていたことを理解しておくのが重要です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました