なぜ兵庫県は旧国・五畿七道をまたぐほど多様なのか?「兵庫五国」と7つの律令国、県境成立の歴史を解説

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兵庫県は、日本海と瀬戸内海の両方に面し、大都市の神戸・阪神地域から、豪雪地帯の但馬、城下町文化が残る播磨、山間部の丹波、島しょ地域の淡路まで、同じ県とは思えないほど地域性が異なります。

歴史的に見ても非常に特徴的です。一般に兵庫県は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の「兵庫五国」から成ると説明されます。そして五畿七道では、畿内・山陽道・山陰道・南海道という4つの区分にまたがります。兵庫県自身も、全国8区分だった五畿七道のうち半数の4区分に属する「広域複合県」であることを特徴として挙げています。[参照]

さらに現在の県域を細かく歴史的国境までたどれば、岡山県から後世に編入された旧備前国・旧美作国の地域も含まれるため、「現在の兵庫県域には7つの旧国に由来する土地がある」と数えることもできます。ただし、この7国が最初から一体の行政区域だったわけではありません。現在の兵庫県は、古代から一つだった地域ではなく、明治政府が複数の異なる地域を一つの県へ統合したことで誕生した県なのです。

まず整理:兵庫県は「7国」なのか「5国」なのか

兵庫県を紹介する際、公式に広く使われているのは「兵庫五国」という表現です。中心となる旧国は、摂津国、播磨国、但馬国、丹波国、淡路国の5つです。兵庫県立歴史博物館も、現在の兵庫県域はこの5つの旧国を中心に構成されていると説明しています。[参照]

旧国 現在の兵庫県でのおおよその地域 五畿七道
摂津国 神戸東部・阪神・三田など 畿内
播磨国 姫路・明石・加古川・西播磨など 山陽道
但馬国 豊岡・養父・朝来・香美・新温泉など 山陰道
丹波国 丹波市・丹波篠山市 山陰道
淡路国 淡路島 南海道

一方、現在の県境を厳密に昔の国境へ重ねると、赤穂市西部の福浦地区は旧備前国、佐用町の一部には旧美作国だった地域があります。これを加えれば、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路・備前・美作の7国に由来する土地が現在の兵庫県内に存在することになります。

備前国と美作国が兵庫県に入っているのは後世の県境変更によるもの

備前国と美作国については、「律令時代から兵庫県を構成していた7国」と表現すると少し誤解があります。そもそも律令時代には兵庫県という行政区域自体が存在しないからです。

赤穂市西部の福浦地区は歴史的には備前国和気郡に属し、近代に入ってからも長く岡山県側でした。1963年9月1日に岡山県和気郡日生町から兵庫県赤穂市へ県境を越えて編入されています。備前市も旧日生町の沿革として、この福浦地区の越県分離を記録しています。[参照]

美作国についても、現在の佐用町の一部に、近世まで美作国、近代には岡山県だった土地があり、1896年の県境変更によって兵庫県側へ移っています。

したがって、兵庫県の歴史的な基本構成は「五国」であり、現在の県域を旧国境まで厳密に数える場合は備前・美作を加えた「7国由来」と考えられる、という整理が最も分かりやすいでしょう。

兵庫県が4つの「道」にまたがるのはなぜ?

古代日本の行政・地域区分には「五畿七道」がありました。これは現在の高速道路の「道」という意味ではなく、都周辺の五畿と、そこから各地方へ延びる7つの地域区分を組み合わせたものです。

兵庫県の中心となる五国だけを見ても、摂津国は畿内、播磨国は山陽道、丹波国・但馬国は山陰道、淡路国は南海道に属していました。そのため、現在の兵庫県には全国8区分のうち4区分が集まっています。

五畿七道の区分 兵庫県内に含まれる主な旧国 地域的な方向
畿内 摂津 京都・大阪に近い中央地域
山陽道 播磨、さらに旧備前・旧美作由来地域 瀬戸内海側・中国地方方面
山陰道 丹波・但馬 日本海・山陰方面
南海道 淡路 四国方面

兵庫県は公式資料でも、五畿七道の全国8区分のうち4区分に分属する県として紹介されています。[参照]この構造は、現在の兵庫県が古代の行政区分とは全く異なる原理で作られたことを示しています。

最大の理由は1876年の府県統合

現在の兵庫県の形を理解する最大の鍵は、明治9年、1876年の府県統合です。明治維新直後から現在と同じ兵庫県が存在していたわけではありません。

1868年に最初の兵庫県が設置された際、その範囲は現在よりはるかに小さく、神戸港周辺などの旧幕府領を中心とした県でした。その後、1871年の廃藩置県によって旧藩がいったん大量の県へ変わり、現在の兵庫県域だけでも30を超える県が存在する状態になりました。[参照]

そこで政府は行政を効率化するため県を次々に統合します。1871年11月には、現在の兵庫県域がおおむね兵庫県、飾磨県、豊岡県、名東県の4県へ整理されました。

そして1876年、飾磨県の播磨、豊岡県の但馬と丹波の一部、名東県の淡路が兵庫県へ統合され、ほぼ現在の巨大な兵庫県が成立しました。兵庫県の公式資料では、この統合によって県域の面積が約9倍、人口が6倍以上になったと説明されています。[参照]

なぜ播磨・但馬・丹波・淡路まで兵庫県にまとめたのか

では、なぜ政府は文化も気候も違う地域をわざわざ一つにしたのでしょうか。重要なのは、明治政府が旧国の文化的一体性をそのまま保存するために都道府県を作ったわけではないことです。

当時は廃藩置県後の非常に細かな府県を統合し、行政規模を適正化し、政府が地方を管理しやすい体制へ変えることが優先されました。兵庫県の公式資料も、1876年の大規模な統廃合について、政府が行政効率化や経費削減を進める中で実施されたものと説明しています。[参照]

つまり、「摂津と但馬は文化が近いから同じ県にしよう」「淡路と丹波は歴史的に一体だからまとめよう」と決めたのではありません。むしろ、それまで別々の歴史を歩んできた地域を、近代国家の行政上の事情によってまとめた結果が兵庫県なのです。

神戸という港の存在も兵庫県の性格を大きく変えた

兵庫県の成立を考えるうえでは、神戸港も重要です。幕末から明治初期の神戸・兵庫津は外国との交易・外交の窓口となり、明治新政府にとって重要な場所でした。

1868年に設置された最初の兵庫県も、神戸港とその周辺の旧幕府領を管理することが重要な目的でした。兵庫県によると、神戸開港後、外国との交渉や港周辺を管理するため兵庫鎮台、兵庫裁判所を経て兵庫県が設けられています。[参照]

その後、神戸を中心とする兵庫県へ西の播磨、北の但馬・丹波、海を隔てた淡路まで統合されたことで、大阪湾・瀬戸内海・日本海・山間部を一つの県が抱える現在の構造が生まれました。

兵庫県が「日本の縮図」と呼ばれる理由

こうした成立過程のため、兵庫県では自然環境も大きく異なります。南部は瀬戸内海式気候で比較的温暖・少雨なのに対し、北部の但馬は日本海側気候で冬には大量の雪が降ります。その中間には丹波や中国山地があります。

兵庫県自身も、歴史・環境・産業などが異なる摂津、播磨、但馬、丹波、淡路という5地域から成り、日本海側、瀬戸内海側、山間部で気候が異なると説明しています。[参照]

都市の性格も大きく違います。神戸・阪神地域は大阪都市圏と連続する巨大都市圏、播磨には姫路を中心とする独自の都市・工業圏、但馬には日本海沿岸と山地の生活文化、丹波には盆地・農村文化、淡路には島独自の農漁業文化があります。

このため兵庫県はしばしば「日本の縮図」と表現されます。県の資料にも、大都市から多自然地域まで多様な地域特性が凝縮されていることが示されています。[参照]

旧国ごとの文化が今でもかなり残っている

興味深いのは、1876年に一つの県になって150年ほど経過しても、旧国ごとの地域性が完全には消えていないことです。現在でも兵庫県が「五国」という呼び方を積極的に使うのはそのためです。

例えば但馬では豊岡が地域の中心で、京都府北部や鳥取県東部との交流もあります。丹波は京都府側の旧丹波国地域との歴史的なつながりがあります。阪神地域は神戸だけでなく大阪との社会・経済的結び付きが非常に強い地域です。

一方、姫路を中心とする播磨は旧播磨国として広いまとまりを持っています。淡路島は律令時代には一国を形成し、海を隔てて徳島・四国方面とも深い関係を築いてきました。

県境は同じでも、住民が日常的に向いている方向が一つではありません。この点も兵庫県の多様性を強めています。

淡路国が南海道なのが特に面白いポイント

現在の感覚では淡路島は明らかに近畿地方・兵庫県の一部なので、「南海道」と聞くと意外に感じるかもしれません。しかし古代の南海道は紀伊国、淡路国、阿波国、讃岐国、伊予国、土佐国などから構成されていました。

つまり淡路島は古代の行政・交通体系では、本州側の播磨と同じ山陽道ではなく、四国へ向かう南海道の入口に位置づけられていたのです。

現在でも淡路島と徳島県は大鳴門橋で直接結ばれています。古代の行政区分と現代の県境は違いますが、「本州と四国をつなぐ島」という淡路の地理的性格そのものは今も変わっていません。

摂津が畿内、播磨が山陽道なのも県内差を生んでいる

神戸市周辺だけを見ても旧国境の影響があります。摂津国は京都・大和などに近い「畿内」に属した一方、その西側の播磨国は山陽道でした。

現在の神戸市は、この摂津と播磨の境界をまたぐ形になっています。兵庫県立歴史博物館の解説では、神戸市の主要部分から三田市・阪神間が旧摂津国で、神戸市垂水区・西区などから西側が旧播磨国に当たるとされています。[参照]

現在は一つの大都市として連続していますが、歴史的には都に近い摂津と、西国へ向かう山陽道の播磨という異なる地域区分が接していた場所なのです。

現在の県境と律令国境が一致しないのは兵庫県だけではない

現在の47都道府県は律令国をそのまま47個に再編したものではありません。明治時代には藩、旧幕府領、府県の統廃合、交通事情、行政上の都合などを考慮しながら境界が何度も変更されました。

そのため、旧国一国がおおむね一県になった地域もあれば、複数の旧国にまたがる県もあります。反対に、旧国が複数の都府県へ分割されたケースもあります。

兵庫県はその中でも特に組み合わせが大きく、公式資料で「広域複合県」と表現されるほどです。兵庫県の多様性は例外的ではあるものの、明治初期の府県再編という日本全国で起きた出来事を極端な形で体現した例と考えると理解しやすくなります。

「7国・4道」という数え方を正確に整理すると

現在の兵庫県を歴史地理として説明する場合、次のように整理すると誤解がありません。

表現 意味 正確さ
兵庫五国 摂津・播磨・但馬・丹波・淡路 兵庫県が公式にも使用する基本的な区分
7旧国に由来する県域 五国に加えて、後に県境変更で入った旧備前・旧美作地域 現在の細かな県域を旧国境と照合する場合に成り立つ
4つの五畿七道区分 畿内・山陽道・山陰道・南海道 兵庫五国だけでも4区分にまたがる

そのため、「兵庫県は7つの律令国から作られた」と単純に表現するより、「兵庫県は基本的には五国からなるが、現在の県域には後世に編入された備前・美作由来の土地もあり、細かく数えると7国に関係する」と説明するのが正確です。

まとめ:兵庫県の多様性は古代の地域を明治政府が横断的に統合した結果

兵庫県がこれほど多様なのは、古代から巨大な一つの地域だったからではありません。むしろ逆で、歴史・文化・気候・交通圏の異なる地域を明治期の府県統合で一つにまとめたからこそ、多様性の大きな県になりました。

基本となる旧国は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の「兵庫五国」です。この5国だけでも五畿七道では畿内・山陽道・山陰道・南海道という4区分にまたがります。兵庫県自身も、気候風土や歴史文化の異なる五国が一つになった「広域複合県」と説明しています。[参照]

1876年の府県統合では、それまで別々だった兵庫県、飾磨県、豊岡県、名東県の一部などが再編され、ほぼ現在の兵庫県が成立しました。その後、美作国由来の地域や、1963年に岡山県から赤穂市へ移った旧備前国福浦地区なども現在の県域に加わっています。

つまり「7国・4道」という複雑さは偶然のように見えて、実際には古代の行政区分、江戸時代の複雑な領地、明治政府の府県統合、さらに近代以降の県境変更という異なる時代の境界が重なった結果です。日本海と瀬戸内海、大都市と農山村、畿内と山陽・山陰・四国方面を一つの県が結んでいることこそ、現在の兵庫県が「日本の縮図」と呼ばれる大きな理由なのです。

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